的西安景点导游词

2024-07-08

的西安景点导游词(精选7篇)

1.的西安景点导游词 篇一

お出迎え

皆様、ようこそ西安にお出でになりました。長い旅、本当にお疲れ様でした。私はガイド兹通訳朱栄と申します。これから、皆様の西安のご滞在中、お世話をさせていただきますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

論語に「朊あり、遠方より来る、また楽しからずや」とありますが、今私の気持ちは全くその通りでございます。私は弊社を代表致しまして、皆様のご来訪を心より歓迎致します。何か要望や不行き届きな点などございましたら、ご遠慮なくおっしゃってください。

皆様の西安の旅がこの上なく、楽しいものとなりますよう一生懸命努めてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、西安はなんと言いましても悠久の歴史を持っている中国最古の都でございます。紀元前11世紀の西周から、秦、漢、隋、唐など約十三の王朝がこの一帯2000年にわたり都をおきました。特に唐の時代の長安は、様々な国からたくさんの人々がこの長安に集まり、当時としては最大の「100万都市」として栄えました。有名なシルクロードの出発点はこの西安でございます。これから、***を見学していきましょう。

大雁塔と大唐芙蓉園

皆さん、西安の名所旧跡の中では一番にあげられるのは大雁塔です。大雁塔は日本の皆さんにもなじみの西遊記に書かれた玄奘三蔵と関係があります。唐時代の高僧玄奘は、さかのぼること629年に生まれ、27歳の時、長安から西域への旅に出ました。そして、16年に経った657年に仏舎利や仏像、そして多くの経典を携えて長安に戻りました。玄奘は、その後大慈恩寺の住職となり、仏教に力をつくしました。唐の太宗と高宗はこの功績をたたえ、そのことは当時の書道家楮遂良の手によって石碑に刻まれ、今もそれが大慈恩寺の中の大雁塔に保存されています。この寺は、唐の高宗李冶が、母親文徳皇后の冥福を祈って648年に建てたものといわれ、西安の南郊外にあります。当時、この寺は現在の7倍以上の広さをほこり、今では大雁塔だけになりました。大雁塔は当初、五重の正方形のものでしたが、その後、レンガで7重にし、775年には、さらに十層のものに改築されました。今皆さんご覧になっている高さ63mの大雁塔は七層ですが、これは後の戦争で上の三層が崩れ落ち、残った下の部分を修復したものです。

ところで、皆さんは大雁塔が建てられた由来をご存じでしょうか。

玄奘がインドから多くの経典を持ち帰ったことは先に申しあげましたが、玄奘はそれを翻訳し、それを保存するために、当時の太宗皇帝に進言して654年建てられたのが大雁塔です。初めは慈恩寺塔と呼ばれ、それを大雁塔と呼ぶようになったひとつの説を紹介しますと、『慈恩寺三蔵法師伝券三』によりますと、「摩掲陀国に、ある寺があり、ある時、雁が群れをなして、空を飛んでいたところ、突然そのうちの一羽が境内に落ちて死んでしまった。これを見て驚いた僧侶たちはその雁を菩薩とみなし、その雁をとむらうために塔を建てた」ということです。

こうして、慈恩寺塔は雁塔と呼ばれるようになりましたが、その後、薦福寺にも「雁塔」が建てられたため、慈恩寺のものは「大雁塔」、薦福寺のほうは規模が小さかったから、「小雁塔」と呼ぶようになりました。なお、現存する大慈恩寺の中の建物は大雁塔を覗いて明の時代のものですが、お寺の大雂宝殿には、釈迦如来の三身仏と十八羅漢、法堂には阿弥陀仏の像が祭られています。法堂の東側の壁には玄奘の拓本がかけてあり、これを見ますと玄奘法師が、一所懸命仏教に身をささげた様子が伺い知ることができます。また、塔身の南側には、唐の太宗皇帝李世民の勅令による、「大唐三蔵聖教序記」の石碑が嵌め込まれ、いずれも唐代の大書道家楮遂良の手による傑作として知られています。さらに、塔の入り口のところに刻まれている唐代の建築図案は、中国古代建築を研究するうえで、重要な資料を提供するものといわれ、大雁塔の北に位置する、最近新しく建てられた玄奘三蔵院には三蔵法師の頭の骨や自筆の経典が納められています。

このように、「大雁塔」は現在、最もよく保存されている唐代の建物ですが、古都背西安のシンボルとしていつまでも人々の心に残り続けることでしょう。

大唐芙蓉院は西安の曲江新区に位置しており、敷地面積は約66万平方㍍、その中、水域面積は300平方㍍を占めます。中国の西北地域で最大の文化公園です。

華清池

皆さん、前方の右側をご覧ください。山が見てきましたね。その山はどんな形に見えますか?そうですね、遠くから見ると青い馬のように見えます。ですから、驪山を名づけられています。驪山の麓にある華清池は私たちの目的です。

皆さん、いよいよ華清池に到着します。この温泉と風景の美しさで有名な華清池は3000年あまり前に発見され、歴代王朝により離宮や浴槽を作られました。毎年、寒さを避けるため皇帝はここを訪れました。唐の玄宗皇帝と楊貴妃によりロマンスが有名ですが。絶世美人楊貴妃が美し肌を洗った様子は白居易の「長恨歌」にも歌われています。なお、お湯遺跡博物館は楊貴妃を使った海棠湯をはじめ蓮花湯、太子湯、尚食湯、星辰湯などの温泉の遺跡が発見できます。ちなみに、湯殿の奥にある五間庁は西安事件の時将介石が泊まったところです。ここもあわせてご案内致します。

はい、華清池に着きました。ここでの見学は2時間となっております。今ちょうど9時ですから、11時に必ずバスに戻ってきてください。ここは観光実は多いですから、できるだけ一緒に行動するようお願いいたします。万が一道に迷ったら、ご自分でバスにお戻りください。だから、バスナンバーとバスの色をよく覚えておいてください。では、貴重品をお持ちになって、バスを御降りください。はい、皆さん、お手洗いへ行きたい方はどうぞ、そちらへ。

はい、じゃ、華清池の観光ルートは飛霜殿、九龍池、お湯遺跡博物館、それから階段を登って西安事件の舞台である五間庁です。皆さん、参りましょう。

ここは玄宗皇帝と楊貴妃の寝室―飛霜殿です。冬になるた玄宗皇帝は楊貴妃をつれて華清池へ寒さを避けに来ます。この飛霜殿に源泉に引き込んであっため冬でも暖かく屋根には霜も付かないということから「飛霜殿」と呼ばれます。ここぁら驪山の美しい風景が眺められるし、それに、雪が降ると周りは全部白くなり、飛霜殿の前の九龍池には温泉が湧いて、湯気が立ち上がりますので、とてもきれいです。もちろんこれは今立て直されたものです。白居易の『長恨歌』の中に楊貴妃の風呂上りを「春寒くして、浴を賜う(たまう)華清池、温泉の水溜(みずため)らかにして凝脂(ぎょうし)を洗う。死児たすけ起こせば嬌(きょう)として力無し」と書いてあります。じゃ、皆さん、御湯遺跡博物館へ参りましょう。そこには楊貴妃が入った浴槽があります。蓮花湯は先に申しあげましたが、楊貴妃の浴槽は海棠の花の形をしているので、海棠湯というのです。ちょっと見た目は今の浴槽ほど豪華ではないですが、その時は大理石でつくっていますから、豪華なはずですよ。

次の見学するところへ移動しましょう。ここは五間庁といって、西安事変の時蒋介石はここに泊まりこんでいました、1936年12月、ここにいた二人の将軍に檄(げき)を飛ばすため西安にきました。12日朝5時突然の銃声で目を覚ました蒋介石は着の身着のまま逃走しましたが、山腹(さんぷく)の岩陰に隠れているところを張学良の護衛兵に捕らえ、西安市の西京招待所に幽閉されました。ここの五間庁にその時の銃弾にうたれた跡が残っています。

皆さん、これで華清池の見学が終わりました。ちょっと10分間休憩しましょう。写真を撮りたい方は撮ってください。10分後車の方へ戻ってください。

兵馬俑

秦の始皇帝陵は西安の東36kmのところにあります。その壮大の墳墓は2200年ほど前に作られ、中国史上初めての皇帝のお墓で、世界でも最大級のものです。秦の始皇帝は紀元前259年に生まれました。13歳の若さで王位につき、紀元前221年に中国統一という大事業を成し遂げましたが、中央集権政治を实施し、文字や貨幣、度量衡を統一したほか、北方の騎馬民族対策に長城を築くことはあまりに有名です。一方専制君主として人民に苛酷な負担を強いることになり、ついに始皇帝の死後、大規模な農民蜂起もあって、秦王朝を滅亡しました。

ところで、始皇帝陵は始皇帝は即位する当時に作り始めました。そのため、動員図70万人述べ、实に、38年間わたる巨大な土木工事でした。それについて、有名な司馬遷も「史記」の中に建設規模と豪華さに触れています、それによると、「三たび水脈達する深くほり、銅版を下に敷い柩を納めるようにし、また、この陵の中宮殿、望楼を作り、百官の席を設け、奇器、奇物でいっぱいにした。百の川、大海を作り、機械の仕掛けて絶えず、水銀が流れるようにした。上の方は太陽、天体の形を作り、下は山、川、地の形を整えた」と記されています。この陵墓の壮大は最新技術を使った、今の調査結果でもそう確かめられています。

もう一つ、今日の目的である「兵馬俑博物館」はこの陵から1.5km離れたところにあります。「兵馬俑」は、1974年に用水工事をしていた農民たちが偶然発見したもので、「兵馬俑」とは、兵士や馬の形をした土偶のことですが、始皇帝陵の死後、陵に埋められ、いわば始皇帝の近衛兵というべきものです。

今のところ、兵馬俑は現在三つ発掘されていて、その総面積は20000㎡にものぼろスケールの大きいものです。陶俑と陶馬は8000代、木造の戦車は100両ほど、青銅製の兵器は40000件も見つかっています。さらい感心させられたことは、实物大の兵士が一体ずつ表情や髪型が違い、どれ一つとも同じものはありません。このことから、秦の軍隊が様々な民族から編成された混成部隊だったことがわかります。このように、兵馬俑は、兵士の指先や靴底まで繊細に作られていて、馬の鬣や尾までもリアルに再現さてれているのを目の当たりすると、当時に千人以上だったといわれる職人のこだわりが感じられます。こうして、秦の始皇帝陵全体としては、この兵馬俑坑のほかにいろいろなものが発見され、最近の発掘では兵馬だけでなく、宮殿の实物大のレプリカや文官や芸人などの俑も発掘されており、従来、来世へと旅立った始皇帝を守るための軍隊と思われていたこの遺跡は、实は、生前の始皇帝の生活そのものを来世に持って行こうをするねらいがあったとも推測さらています。

兵馬俑一号館

1979年10月にオープンした一号館は始皇帝兵馬俑館最初の建物です。東西230m、南北62mの長方形をしていて、発見された三つの俑坑の中では規模の最も大きいものです。1000あまりの兵隊の俑、戦闘馬車とそれを牽引する馬の俑32体が出土しました。一号館の兵馬俑は歩兵を中心とした主力部隊ですが、先頭は武士俑が並び、ついて歩兵と戦車の隊列が続き、その左右両側と後ろにはそれぞれ1列ずつ武士俑が配置されています。

皆さん、これらの兵馬俑はよくご覧になっていただくとわかりますが、兵士たちは、その容貌だけでなく、朋装もくらいによって、それぞれ違います。最も目立ったのは将軍俑で、将軍は先端を巻いている高い冠をかぶり、これをとめるためリボンが顎の下で丁寧に結ばれ、胸まで格好よくたらしています。また、戦闘朋も二枚着ており、鎧も独特な形をしていて両肩と胸のところでリボンで結ばれています。現在、ここでの発掘はまだ継続中で、埴輪の数は推定で6000体ぐらいあるだろうと推測されています。

兵馬俑二号館

昔、戦争では陣立ては勝負を決める重要な要素でした。軍事家たちが多くの陣立ての形を考えました。しかし、その内容がずっと最高の軍事秘密で現在その記録がほとんど残っていません。

1976年、最初に発見されました兵馬俑坑の周りを発掘したところ、その北側から大量の俑が新たに発見されました。これは現在の二号館で展示されている兵馬俑です。

二号館の面積は約6000㎡、陣立ては陶俑と陶馬は合わせて1300体余りあり、ほかに戦車、歩兵、騎兵など編成された「W」の形をした曲陣で、それと騎兵集団で構成されていますが、御者が手綱を引き、片方の手に弓を持っています。戦車集団のほうは、4頭立ての馬車一台に御者が1人が付き、両脇の兵士二人は武器を手にして、戦車に登る姿勢を示しています。

先頭部隊は弓弩兵器を携えた射手で、右側に戦車、中央には歩兵と戦車が交互に左側には騎兵が配置されており、最後の方は騎兵と歩兵をいった陣容の混合部隊です。この陣立ての形は攻めることも守りことも自由にでき、秩序が保ちやすく、攻められやすい弱点がありません。

兵馬俑三号館

三つの兵馬俑館中で唯一発掘が完成したのが三号館です。三号館の面積は376㎡の凹字型となっており、規模として一番小さいほうですが、地下の大軍を統帥する指揮部です。ここからは馬車一台、馬、武士の俑、それに青銅製兵器が出土されています。

大清真寺

現在西安には6万人の回民族イスラム教の教徒がおり、この民族の人口は西安における40の少数民族のトップを占めます。したがって、西安にはイスラム教徒の宗教活動の場所である寺院―モスクがたくさんあります。清真大寺は鐘楼の西側の鼓楼のすぐそばにある化覚巷にあり、西安に住むイスラム教徒の宗教活動の中心です。寺の中に保存されている石碑の記載によれば、この寺は唐の742年の建立ですが、明代の1384年に大修理を行われました。

寺院は楼、台、亭、堂の四つの部分に分かれ、敷地は一万二千平方㍍、建築面積はやく四千平方㍍、ほぼ完全な建築群で構成されています。壮観なドームや尖塔、モザイクなどを特徴とするアラブ式のイスラム寺院とは異なり、清真大寺の造りいぇ装飾は伝統的な中国式です。その特徴は塗装された梁や柱の彫刻を持つ中国特有の楼に色濃く見られます。

前院には高さ9mの瑠璃屋根、異角飛縁な木牌坊があります。第二院には石碑が一ヶ所あり、石碑には明代、清代この寺を修復したことが記載されています。第三院の中央に省心楼という建物があります。ここは礼拝の時、回教の僧侶が白い帽子を振って、人々を召集する場所です。第四院は礼拝大殿とも呼ばれており、信者は毎日5回、ここで西に向かって礼拝します。礼拝の前にシャワを浴びる習慣があります。大殿の面積は1300平方㍍、1回千人以上の礼拝式ができます。礼拝殿の周囲の壁はイスラム教の伝統的な装飾芸術を採用して、唐草模様の間にアラビア文字がたくさん刻んでいます。この寺は全て中国のイスラム教の伝統的な様式によって作られたもので、その特徴で楼、台、亭、堂四書類を形成しています。また、寺の建物は全部対称しています。

人々の生活習慣と風俗などが民族によって異なることはいうまでもありませんが、特にイスラム教の寺院では男女が同席せず、タバコも禁止されています。

ムスリムは豚肉もお酒も口にせず、彼らが食べる肉は主に羊肉と牛肉です。

結婚式は午後、新婦を迎え、翌日の朝に行います。聖典コーランを読む、メッカに生涯を誓います。女性は他の民族と結婚しませんが、男性は異民族と結婚できるという習慣があります。

葬式の時も読経します。棺は使わず、28mの木綿の織物で遺体を包んで埋葬します。

回民族の朋装は漢民族と変わりませんが、年配で回族意識の高い男性は白いフチのない帽子をかぶる習慣があります。

碑林博物館

碑林博物館は、西安の南城壁のすぐそばにある孔子廟遺跡の場所に建てられていて、その敷地面積は3万平方㍍、「西安碑林」と「石刻芸術」と二つの部分からなっています。

皆さん、ご存じのように中国の正門は一般に南に向いていますが、碑林博物館はの正門だけは東に向いているのはなぜでしょう。それは孔子廟には必ず西と東の門があり、これを「礼門義路」と言って、いわば「礼儀の門」という意味があります。

さて、まず、正門に入りますと城壁と向かい合って「孔廟」の大きいな文字が見えてきます。それから、目の前に鳥居型の門が見えますが、これは「牌楼」ともいい。功労があった人の徳をたたえるために建てられたものです。更に、もう一つの門をくぐると中央に小さい道があり、その両側に馬をつなぐ「杭」があります。これは明、清時代からのものと言われ、これらの杭は、昔、この地方の大金持ちや官僚の邸宅の門にあったもので、訪れた実の馬をつなぎとめるものでした。なお、石柱の頭部には、邪悪を鎮め、縁起の良い動物や人物のデザインがほどこされております。もうちょっど足を進めますと、東西の方向に亭が見えてきます。東の亭には、大きいな種が置かれていますが、この鐘は711年、唐時代の景雲2年に造られたもので、「景雲鐘」と呼ばれています。この「景雲鐘」は銅で鋳造され、重さ6トンもあり、表明に凸凹の乳首のようなものがついていますがこれは鐘の韻律を調整するもので、種に音色はまるで鳳凰の鳴き声のようとも言われています。

西安碑林、総数が2千基にのぼる「碑林」は文字通り石碑は林のように立ちならんでいるところからこのように名づけられました。碑林は歴史的にも芸術的にも価値が高く、中国最大の「石の書庫」とも言われています。ここで展示されているのは漢時代から唐、明、清時代にかけてのものまで、ここで注目されますのは、特唐代の有名な書道家が書いた書道作品です。

皆さん、目の前に「碑林」の文字が見えてきましたね。これは中国の民族英雂、林則徐が書いたものです。ここに碑林の最大の石碑であります「石台孝経」が展示されていますが、「孝経」とは、孔子の弟子曾参が編集した親孝行について書かれた本ですが、この石碑には「孝経」の内容だけでなく、唐の玄宗李隆基が書いた解説、序なども刻まれています。なお、石碑は高さ約6m、頭部、碑文、台座の三つの部分からなり、台座は三層で、その上の石碑は四つの石からなっています。頭部には生き生きとした蔓草や縁起の良い動物の線刻が刻まれていますので、ご注目ください。

第一陳列室 ここに展示されているのは「開成石経」です。114の石碑の両面に儒学の経典13経に全文が刻まれています。「開成石経」は唐の文宗の開成2年に立てられましたが、その石碑も戦争や自然災害によって大きいな被害を受け、40余りの石碑のうち、壊れた部分に文字を今度は前より小さい石碑に刻まみこみ、1588年には「開成石経」の傍に置くようになりました。いずれにしましても、これらは我が国でただ一つの完全に保存されている石刻経典といえます。

第二陳列室

この陳列室には、唐代の有名な書道家がかいた石碑で、後世の書法の手本となったものばかりが展示されております。初唐の欧陽詢が書いた「皇帝誕碑」、その息子の欧陽通の「道因法師碑」、顔真卿の書「多宝塔碑」と「顔氏家廟碑」、それから、晩唐の柳公権の作品「玄秘塔碑」などがあります。「大唐三蔵聖教序碑」は長安の弘福寺の和尚懐仁が王義之の書を集めて作ったといわれる「千金帖」です。また、ここには、大書道家の大作のほかに、古代ローマからキリスト教が伝来したことを伝える「大秦景教流行中国碑」はよく知られています。碑文は、中国とシリア両国の文字で書いてあり、唐王朝と外国との交流を研究するうえでも、貴重な資料となるものです。

第三陳列室

ここで篆書、隷書、楷書、行書、草書の書体で刻まれた石碑が展示され、中国文字の変遷を理解するには格好の場となっております。碑林の石碑の中で、最も古いものは「漢曹全碑」です。これは後漢の曹全が隷書で書いたものです。また、「千金文」は昔から児童の啓蒙書となってきました。

石刻芸術陳列室

1963年に建てられた石刻陳列室は、陝西省各地に散在していた前漢時代から唐代までの墓石と宗教的な石刻作品70点余りと集められ、陳列室には石棺、仏像、石刻の動物などの貴重なものが展示され、中には、丸彫り、浮彫、線彫りなどの石刻があります。なお、「牛耕図」は後漢時代の画像石の代表なものです。そして、唐の太宗李世民の愛馬を浮彫した「昭陵六駿」は唐代石刻芸術の代表的な作品として評価が高いです。

陝西歴史博物館

陝西省歴史博物館は古都西安にふさわしく、唐代の様式を取り入れた堂々たる建物の国立博物館です。西安の南に位置しており、敷地面積7万㎡です。所蔵する文化財は11万3千あまり、陝西省から出土した周、秦、漢、唐時代からの文化遺産です。展示されているのは、その中から選ばれたきわめて稀なものばかりで、約3,000点余りです。すべてのものが一品ぞろいです。展示室の面積は1100平方㍍、建物は代表的な唐代の宮殿様式で、『中央は殿堂、四隅は高楼』という伝統的な構造になっております。

展示品 館内に入って、まず目につくのは、大きな石に獅子ですが、これは則天武后の母親の墓 順陵の獅子に模造品です。

第一展示室は、約115万年前の旧石器時代、藍田猿人から始まっています。ここに展示されているのは、旧石器時代や新石器時代の代表的な文物で、先史時代の人々の生活ぶりを現しています。

現在、確認されている最も古い王朝は殷です。殷代には占いため亀甲と獣骨に刻まれ文字があります。これを甲骨文字といい、漢字の最も古い形になっています。周の時代、特に青銅器の製造と使用が盛んで、青銅器が精巧なものになっていた時代なので、「青銅器時代」をされています。青銅器は銅と錫と合金で、色が青黒いため「青銅器」と呼ばれるようになれました。博物館に展示されている青銅器は、祭礼の楽器、生産、生活用具、实戦兵器などがあります。デザインの美しさ、銘文内容の重要さなど、世界美術史上も貴重なものです。

この展示室では秦の足跡を展示しています。展示品の中には都咸陽の宮殿遺跡か発掘した瓦、煉瓦、土管などが並んでいます。始皇帝の事業の一つ、通貨の統一をあげることができるが、当時の貨幣関係の資料も展示されています。漢代の都、長安城は、中国の歴史における初めての国際的大都会で、当時、ローマ帝国より2倍ぐらい広かったと言われます。当時の冶金、製鉄技術では、既に石炭による送風式溶鉱炉を使用していました。農機具だけでなく、兵器や日用品なども大量に鋳造、生産していたのです。紙の発明はかなり古く、西安覇橋の漢墓などからも、植物繊維で造った紙が発見されていますが、さらに良質の紙が造られたのは105年の蔡倫の発明からです。ここに展示されている、1965年咸陽市の東約25キロの陽家湾で発見された彩絵陶俑群で、計2500個以上が出土しました。絢爛たる文化の華咲く唐代で、注目していただきたいのは壁画です。陵墓から運ぶ出された唐代の巨大な彩色壁画の展示が来館者を圧倒します。例えば則天武后の孫娘永泰公主の墓から出土した「侍女図」という壁画の女性を見ると胸元を緩やかに広げ、いわゆる詰襟の中国副の硬さがありません、足元を纏足ではなく大きな沓を履いています。いかにも自由闊達と見える、これらの女性たちが馬に乗るも横座りでなく、跨って大路を駆け抜け、闊歩したとも伝えられています。隋 唐展示室では金銀の器具、唐三彩、磁器、瑠璃器具など当時の繁栄を偲ばせるものがずらりと並んでいます。唐三彩は西安、洛陽一帯に分布していますが、出土数が大変少なく、大変珍しいものです。陳列室されている馬、駱駝、宮女、宦官、各種生活用品など、題材の豊富です。葬式の行列に使う冥器などでも、工芸水準は大変高いものです。

黄帝陵

黄帝陵は中華民族の始祖黄帝軒轅氏のお墓です。陝西省の延安市黄陵県の橋山の上に位置しております。「天下第一陵」と言われています。橋山、海抜980メートルです。ここは歴代帝王と有名人たちが祭るところです。

黄帝は原始時代の優秀な部落首領です。土の徳を尊ぶ(とうとぶ)、土の色は金色ので、黄帝を呼ばれるようになりました。黄帝は天下を統一して、天下共主と言われいています。後人は自分を「炎黄子孫」また「華夏子女」と呼びます。黄帝は伝説的な人物ですが、後世に「人文始祖」と称えております。

ここは軒轅広場です。黄帝陵を祭りの出発点です。軒轅広場は5000枚秦嶺天然河の玉石で敷き詰めてきて、中華民族の5000年の悠久の歴史を代表しています。目の前の池は「印池」と呼ばれて、伝説によりますと黄帝が筆を洗いところです。今、私たちが通ったこの橋は「軒轅橋」を呼ばれて、印池を横断して、全長66メートル、幅が8.5メートルで、全部花崗岩(かこうがん)で造りして、中国近代全石材第一橋と知られています。北端に95段階の石段があります。九五の尊の崇高(すこう)な地位を代表しています。

軒轅橋を突っ切ると軒轅廟です。軒轅廟は唐の代宗に建てられ、敷地面積約6666平方㍍、入りますと、左にコノテガシワがあって、高さ約19メートル、世界コノテガシワの父と言われて、遡ること、4700年もあります。

人文初祖大殿は正殿で、全廟の本館です。中には黄帝の浮彫全身の彫像があります。神棚の周囲は四つの縁起のよい動物の図案が刻まれています。左は蒼龍、右は白虎、上は朱雀、下は玄武です。

黄帝陵区は約4平方㍍、四隅は山と水、樹木が茂っています。頂上に登って、まず、石碑が見えてきて、「文武百官ここに馬をおお降りください。」が刻まれています。黄帝陵は山頂の真ん中に位置しており、南に向いて、高さ4メートル、周長約50メートルです。陵の前に「漢武仙台」が刻まれていた石碑があります。これは漢武帝が造たものです。

崋山

陝西省の華陰県にあって、西岳とも言われています。中国五岳の一つで、崋山主峰海抜2160メートルで、北は黄河を俯瞰し、南は秦嶺に連なります。崋山は「天下第一険」と言われ、雂大さと険しさで古くから中国五山の一つとして広く知られています。

東峰は崋山の奇峰の一つで、峰頂に美しい景色や「日の出」を見ることができる朝陽台があるので朝陽峰とも言われています。北峰は「雲台峰」をも呼ばれて、海抜1500メートルで、四方は断崖絶壁で、ただ1本しか山道が南側の連峰に通じていません。映画「智取崋山」はここから取材したものです、それは筆のように屹立して、千刃の断崖をなし、頂上から俯瞰すると秦川がぼうぼうと流れ、その間に渭水と洛水が龍のように曲がります。頂上には劈山救母石があり、聞くところによると中国有名な神話「宝蓮燈」の中の沈香が山を切り開いて、母親を救った物語はここで発生したと言い伝えられています。南峰はすなわち「落雁峰」崋山の主峰で海抜2083メートルもあります。崋山の最も険しい峰で、峰には深緑の松とコノケガシワ、林がうっそうとしています。東に雲を突いて架設した長空桟道があります。中峰は玉女峰をも呼ばれ、東、南、西峰に通じる要路です。

崋山は険しさが特色で「険」という文字があちこちにあります。山に至るところに断崖絶壁があり、山道は険しく景色も美しいのです。山道に沿って、玉泉院から蒼龍嶺まで多くの景勝地を見ることができます。

崋山の麓から青珂坪までの道中は風景が静寂で、谷間が鮮やかな緑色に染められて、鳥がさえずり、花が香り、泉が流れて、人々の心をゆったりとさせます。青珂坪の東からこそは本当の登山になります。ここに「回心石」の文字が刻まれた大きな石があります。これから先が崋山の危険なところです。この文字を見て体力の無いもの、肝っ玉の小さいものは引き返します。回心石を過ぎると崋山の咽喉、「千尺棟」に着きます。ここは険しい崖の小道両で、370段に石段があり、両側にあるロープを掴んで一歩ずつ登らなければなりません。「千尺棟」の幅はとても狭く、下を見ると深い井戸です。更に進むと、もっと険しい「百尺峡」に突き当たり、その後、仙人橋を通り、一段と険しい「老君梨溝」に至ります。ここは海抜1500メートル、史方は断崖絶壁で、570段の石段があり、その突き当たりは「狐孫愁」というところで、文字通り、猿でさえ困惑していて、断崖絶壁がどんなに険しいが想像できます。「狐孫愁」を過ぎると崋山の北峰に到着します。

見送り

皆さん、いよいよ西安を離れる時間が迫ってきました。もう一度身の回りをチックしてください。今から、空港へ向かいますので。

この3日間行き届かない点が多くて、ご迷惑をかけたかと思います、3日間の観光はあっという間に過ぎました。本当にお名残惜しいです。

私は皆様のお供をさせていただき、大変楽しく、いろいろと勉強させていただきした。こうして無事に快適な旅行ができましたのも、皆様のご協力のおかげです。この次、お出でになる時もぜひ私どもの旅行社をご利用ください。それまでに、私ももっと日本語を勉強しておきますので、また、ご案内させていただければ有りがたいと思います。

皆様、ここでお別れです。どうぞお元気で、さようなら。

2.的西安景点导游词 篇二

云南省拥有着优厚的自然地理条件,气候类型多样,动植物种类丰富,有着“动物王国”和“植物王国”的美称,与越南、缅甸接壤,临近老挝、泰国,在发展旅游业上有着很好的地缘优势,另外还有着国内最丰富的少数民族文化资源,在国内和国际旅游市场上都有着巨大的发展潜力,当地许多优质的旅游资源受到翻译水平和其他种种因素的制约,在国际旅游市场上的知名度并不高,如今到云南旅游的国外游客仍然是以与其临近的东南亚国家为主,云南旅游资料的英译工作开展得较为缓慢,英译出来的资料影响力有限,在国外传播度并不高, 虽然不乏一些高水平的译者在为云南旅游资源的对外宣传工作而努力,目前云南主要的旅游景点的文字资料都有译者尝试着去翻译,英译的标识和公示语以基本覆盖了云南省内主要的旅游景点和所有的省内5A级景区,然而由于翻译水平的差异还有当地翻译市场缺乏清晰而明确的规范和高级翻译人才的匮乏,以及翻译人才培养体系的落后和不健全等原因,这些旅游文字资料的翻译质量参差不齐,大部分旅游资料英译水平难以令人满意,只要仔细阅读这些英译的英文资料,其中大部分资料都能找到翻译得不太恰当和不到位的地方,译者大多不认真的去考虑中西方语言在写作表达上差异以及中西方文化的差异,只是对资料进行简单的和生硬直译,却没有仔细的去考虑这样的译法是否为西方国家的读者所接受和理解。有时,甚至对资料不加以认真理解和考证,不管理解对错与否,仅凭字面意思和译者自己的主观理解就草草进行翻译,想要将云南旅游英文翻译工作向前推进,我们还需要付出很多的努力。

二、导游词的特点

作为对旅游景点的详细介绍,导游词具有以下几个方面的特点:

1.语言简练、表述准确清晰。

2.语言生动活泼,具有较强的吸引力,能够迅速抓住听众的注意力。

3.语言具有亲和力,亲和而又随意的语言能够迅速拉近导游与游客间的距离。

4.语言通俗、易懂,因为游客在文化层次和理解能力方面存在着较大的差异,导游词要做到让不同文化层次的读者都能够理解,才能起到传递信息的目的。

三、导游词中的翻译错误

在对云南地区旅游景点的英文导游词进行分析和归类之后,发现其中的翻译错误主要集中在以下几个方面:

跨文化方面的错误:跨文化交际方面的错误主要是指译者忽略中西方文化背景、思维方式、意识形态、语言表达习惯上的差异而产生的翻译错误,这类错误在导游词的翻译中是最常见的。

例:在丽江地区的导游词中,原文:据说,在位于中国南部的“彩云之南”,有着一个好似仙境的地方。

译文:It is said that there is a fairyland beneath the colorful cloud of southern China.

分析:通过分析译文,我们可以很明显的看出,译文就是把原文中的每个字按顺序生搬硬套的翻译过来,却忽略了中西方两种语言在表达习惯上所存在的差异,不符合英文的表达习惯,应该改译为:

It is said that there is a fairyland at southern part of China — Yunnan province.

例:原文:我们今天旅行的目的地

译文:Our today’s destination

改译 :It is the destination of our trip today.

例:我敢说,丽江是任何一家云南旅行社都会强力推荐的旅游景点

译文:It is safe to say that Lijiang has always been on any itineraries of Yunnan’s travel agency.

改译:I dare to say that Lijiang has always been a strong recommendation of any travel agencies in Yunnan.

例:任何一个在丽江旅游的游客几乎都会游览丽江古城

Any traveler coming to Lijiang is almost always coming to visit the old town.

这句话的语序受汉语表达习惯的影响明显,却忽略了汉语与英语在语序上的差异,改译:Most of travelers who travel in Lijiang would choose to visit the old town.

例:“鱼米之乡”被翻译为“ land of fish and rice ”,但地道的翻译应该是“land of milk and honey”

例:请放慢你的脚步

译文:Please slow down your step

这句话应该改译为:Please slow down,就可以了

语用方面的错误

“语用翻译错误是指翻译过程中不恰当地使用译语的表达方式,结果导致误用译语,违反译语语言习惯所造成的翻译错误”。由于译者缺乏对语用学系统的学习和研究,英文导游词的翻译中难免会出现一些语用翻译的错误,导致双方交际受阻,影响译文的整体传播效果,最为常见的语用方面的错误就是用词的不准确和不恰当。

例:大理的特产“乳扇”被翻译为“ milk fan”,这种译法忽略了用词的准确性,用“diary”一词比“milk”要适合和贴切一些,正确的译法是“diary fan ”.

例:在泸沽湖的英文导游词中有这样一句话:“ The lake is like a beautiful pearl shining among the hills of the northwest plateau in Yunnan”,“hill”在英文中指的的小山丘或丘陵, 云南地区处于高原地区,山多为高山所以“mountains”更为贴切。

例如:在云南文山普者黑的英文导游词中的有这样一句话:“ July to August is the best to admire the most beautiful country landscape of Pu zhehei”,这里“观赏”用“admire” 一词翻译不太恰当,“admire ”多为“尊敬、崇敬”之意,使用来形容德高望重的人或长辈,“欣赏或观赏”用 “appreciate”一词翻译更为恰当.

例:“Lets’ march into the garden”,“march”一词多用于表示“行军,游行队伍前进”,用于此处不是很贴切, 应该译为:“Let’s heading towards the garden.”

语法错误:语法错误在导游词的翻译当中也是比较常见的,主要包括:s时态错误、语态错误、介词搭配错误、名词和动词在数的搭配上的错误。

例:在西双版纳的导游词中“ now,we are back to our hotel ”这句话中就出现了时态上的错误,正确的译法应该是 “ we are backing to our hotel ”

例:“ This is the only place where wild elephants can be seen”这句话中在关系词的选择上出现了错误,当先行词被“the only”修饰时,关系词只能用“ that”,而不能用 “where”

例:“大象随音乐起舞”被翻译成了“ dance to the music”,应该翻译为“ dance with music”

例:在抚仙湖的英文导游词中有着言一句话“ Fuxian lake has the shape of inverted gourd,”分析:“以…样的形状”应该“ in the shape of ”.所以正确的说法应该是“Fuxian lake in the shape of inverted gourd ”.

四、建议

以上我所列举的几个方面的问题,虽然仅仅是以云南地区旅游景点的介绍词为例,但以上的问题是在国内大部分旅游景点的介绍词中都是普遍存在的,针对上述问题,有以下几点建议供导游词的翻译者参考:

1.在翻译外文资料之前,我们要尽量多阅读大量的相对应的外文材料,所要翻译的汉语词尽量在这些英文材料中找到对应,翻译学里有一个“临摹”理论,也就是说翻译就像作画一样,想要画出上乘的作品,必须建立在大量的“临摹”的基础之上,翻译也是一样,如果想要快速而准确的翻出英文导游词,译者必须在进行翻译之前,大量的阅读国外旅游景点的导游词,这样翻译出来的译文才会符合英语国家的表达习惯,为英语国家读者所接受和理解。

2.译者必须具有很强的跨文化交际能力,精通中西方文化的差别,精通汉英两种语言在表达方式和习惯上的差异, 精通中西方国家历史,了解中西方人在思维习惯上的差异, 了解中西方国家在意识形态上所存在的差异,这样才能在翻译的过程中避免跨文化交际方面的错误。

3.译者必须具备英语语言学的相关知识,避免翻译中出现选词不当的错误。

4.译者必须具备扎实的语法功底,平日里多积累一些动词的特殊用法,介词的固定搭配,明确冠词的正确用法,来尽量避免翻译过程中出现语法错误。

摘要:近几年来,旅游业已经成为拉动经济增长的重要力量和全球经济中发展势头最强劲和规模最大的产业之一,发展旅游业可以有效地拉动经济的增长,带动社会就业问题的有效解决,促进旅游地区文化建设和基础设施建设在经济全球化的推动下,旅游业的发展将会迎来一个难寻的契机,因此旅游景点导游词的英译工作显得尤为重要,然而,由于国内翻译市场发展良莠不齐,对旅游景点导游词的翻译缺乏清晰而明确的规范,以及高级翻译人才的相对匮乏,使得旅游景导游词的英译效果不尽如人意,本文主要调查研究云南地区的旅游景点介绍词英译过程中所存在的问题、错误和不足之处,并提出相应的改进策略。

3.的西安景点导游词 篇三

关键词:英语导游;景点解说;问题

引言

旅游业作为一个新兴产业,在中国取得了非常大的发展成就。作为有着悠久历史的文明古国,我国的历史文化,自然风景,风土人情都以其独特的魅力吸引着八方来客。值得注意的是,随着大量外国游客的涌入,英语导游在景点解说的过程中出现了很多不合适的表达与景点介绍。特别是在解说一些具有中国特色的传统的旅游文化景点,很多英语导游无法或者很难将中国的特色文化进行地道的英语表达。这种由于语言的不匹配而造成的信息交换的不畅通是我们亟需面对和解决的问题。本文通过从总结英语导游在景点解说时应该注意的问题入手,尝试提出了一些相关问题的解决策略。

一 英语导游在景点解说时出现的问题

英语导游在引导外国游客进行参观时发挥着极其重要的作用。可是由于主客观原因,很多英语导游在进行景点解说时容易出现一些影响外国游客理解和接受的解说方式和问题。具体表现在以下几个方面:

首先,景点解说方式与内容的过于简单粗糙,无法帮助外国游客在聆听过程中感受到景点的文化与魅力。景点介绍的主要目的是帮助外国游客对所参观的景点进行深入的了解和学习,从而激发他们参观的积极性与好奇心。如果英语导游在解说时,缺乏对景点的细致描述,对一些具有历史文化意义和重要文物价值的景点,在介绍时只是一笔带过,缺乏细致入微的讲解如描述,则会降低游客对参观景点的期望值。例如,在一次外事旅游中,一个英语导游在向外国游客介绍我国著名的风景名胜区少林寺,千年古刹时,直接将这一伟大的文化建筑翻译为:Shao lin Temple, an old house of thousand years. 这种简单化的翻译会把少林寺的灿烂形象大打折扣。在外国朋友的理解意识里,少林寺只不过是一个老房子而已。所以,在英语导游对景点解说时要尽量避免这种过于简单的景点解说。

其次,景点解说时,缺乏对游客宗教信仰的考虑与尊重。外国游客,特别是欧美国家,他们大多数都是虔诚的基督徒。在他们的信仰文化里,上帝耶和华是他们唯一侍奉和敬拜的神。所以,我们在进行涉及宗教文化的景点介绍时,要客观理性的对景点所代表的寓意和文化进行介绍,要避免在英语解读的过程中掺杂自己的主观情绪,特别是不能出现对自己之外的信仰的歧视甚至抨击。这种缺乏宗教信仰与尊重的景点解读方式,在实际的英语导游的日常工作中一定要格外注意和避免。因为,一旦这样的常识性错误发生会严重影响外国游客对我们的接受和认可程度,严重时,还会引发沟通的障碍与危机。我国著名领导人周恩来总理曾经一再强调:外事无小事。因此,我们英语导游的从业人员,应该具有高度的责任感与从业的使命感,在从事对外导游的翻译过程中,注意语言的措辞与礼貌。一方面要完整展示打过外语导游的风范,另一方面,也要做到有礼有节,不卑不亢。但是总体来说,翻译沟通过程中的准确与得体还是要放在外语导游的表达要求的首位的。

最后,景点解说时牵强附会,自圆其说。英语导游是一个比较严谨的工种,对导游自身的语言素养有着比较专业的要求。如果,英语导游在进行景点解说时,明明不是很清楚某一景点中某一事物的具体的英文表达,不是主动示弱,而是依然用自己不是很正确的方式进行强制性的解说。这种牵强附会的英语解说,不但不会促进外国游客对我们景点的欣赏,反而会讓他们对我们的专业度与服务质量产生怀疑。正如,我国春秋时期的大教育家孔子曾经说过的一句话:知之为知之,不知为不知,是知也。由此可见,英语导游在语言上的严谨,从某种程度上,也体现出了一个人的文化道德修养。

二 针对英语导游在景点解说时所出现问题的应对策略

有位哲人曾经说过:问题在事物的发展中扮演着两种不同的角色。一种是,绊脚石。一种是,垫脚石。前者会阻碍我们的发展与前进。后者,则会促进我们往前发展。因此,我们首先要正视和重视英语导游在景点解说时所出现的问题。只有树立了良好的问题应对态度,那么接下来的解决策略也会更有针对性与效果性。

1强化英语导游从业人员的专业素养提升。针对景点介绍的语言表述问题,正如上文所提到的,要么不知以为知,给国外游客造成不好的影响,要么在景点翻译过程中出现了明显的语言表达的常识性错误。这些现象产生的原因之一就是英语导游自身的英语专业素养的不过关。英语导游对其自身的英语交际水平有着比较高的要求。一方面,英语导游要有着比较高的英语表达水平,包括语言表达流利度与发音的标准等等。另一方面,英语导游要在除语言之外的其他领域也要有所涉猎,例如,历史,文化,古玩,建筑等等。只有对这些文化事物,特别是在景点介绍时所能用得到文化材料要尽可能多地去掌握。因为,英语解说时一个综合素质能力要求比较高的行业。

除了英语导游加强自身的知识积累与学习之外,国家政策部门及相关教育机构,应该从职业教育与培训的角度来对上岗的英语导游进行职业技能的考核与监督。一方面,要严格贯彻英语导游的选拔与考核制度,只有从源头上,提高英语导游从业人员的素质才能有助于英语导游景点解说的准确与得体。另一方面,要从终身教育的高度,在引导和鼓励甚至要求英语导游从业人员,在一定工作时间段后,回炉重造,也就是我们常说的“充电”。因为这是一个信息爆炸的时代,没有一种工作不要求知识与经验的不断与时俱进。只有在工作中学习,在学习中工作,两者互相促进才会真正意义上地实现英语导游翻译事业的蓬勃发展。

2建立英语导游翻译的规范与标准。需要指出的是,21世纪是一个标准化的世纪。只有实现标准的统一才有利于国际间更好的交流与合作,英语导游也是一样。我们只有加强与国际的合作,互相交流,制定标准才有利于求同存异,共同发展。具体来说,旅游部门应该与英语翻译协会建立互动机制,面对旅游景点介绍过程中所出现一些翻译盲区,应该发挥专家智慧。只有尽快地把各个旅游景点介绍标准的统一与科学,才会有助于英语导游在景点介绍时的统一表达,从而避免了同一景点不同的翻译而导致的国外游客的不解甚至误解。当然,在标准与规范制定的同时,我们还要充分考虑到中西之间语言,民族,宗教信仰等方面的差异。这种差异会影响到我们景点介绍时,英语导游的发挥。但是,凡是不可以过于追求标准化。主要是,每一个英语导游在日常的工作中会有自己的特色与特长,应该鼓励他们在统一严格要求下的个性的发挥。

3 通过在海外举办一系列的中国文化宣传活动,促进外国游客对我国文化的学习与了解。目前,我国已经在数十个欧美国家建立了孔子学院。这些孔子学院在帮助世界了解中国方面发挥了重要的作用。在英语导游的解说过程中,我们所认为的难点主要来源于外国游客对我国景点文化的不了解或者知之甚少。通过孔子学院这样的形式可以非常迅速地实现民族传统文化的传播与发展。只是,单单靠这种官方的文化传播是不够的。我们应该发挥和贡献更大的民间文化传播的力量。我们的电影,我们的电视剧,我们的综艺节目,我们的广场舞都是近几年来兴起的民族文化的传播者。可以说,我们每一个中华儿女都是我国伟大文化的宣传大使与品牌代言人。我们应该注意我们的言行举止,珍惜我们的国家声誉与形象就像珍惜我们的眼睛一样。

结语

英语导游需要在景点解说过程中注意很多问题,但归纳为一点就是对景点介绍的准确与得体。如何才能应对这些问题,笔者建议:英文导游的从业人员应该不断强化自身的学习和综合素养的提高。国家各相关职能部门应该强化英语导游从业人员职业技能的考核。另外,相关景点介绍的统一标准化翻译也是非常必要的。最后,加强我国文化和形象在世界各地的宣传与传播,让中国走向世界,让世界了解中国。

参考文献:

[1] 何洁. 中西方文化差异与旅游英语翻译[J]. 发展. 2008(12)

[2] 黄晓玲. 旅游英语教学的实践探索[J]. 产业与科技论坛. 2009(05)

[3] 汪莹. 从中西文化差异的角度浅析旅游英语的语言特征[J]. 商业文化. 2010(04)

4.西安景点导游词英语200 篇四

丰镐都城、秦阿房宫、兵马俑,汉未央宫、长乐宫,隋大兴城,唐大明宫、兴庆宫等勾勒出“长安情结”。

西安是中国最佳旅游目的地、全国文明城市之一 ,有两项六处遗产被列入《世界遗产名录》,分别是:秦始皇陵及兵马俑、大雁塔、小雁塔、唐长安城大明宫遗址、汉长安城未央宫遗址、兴教寺塔。 西安也是国家重要的科教中心,拥有西安交通大学、西北工业大学、西安电子科技大学等7所985或211工程类大学。

西安,古称长安、镐京,陕西省省会、副省级市、国家区域中心城市(西北),是国务院批复确定的中国西部地区重要的中心城市,国家重要的科研、教育和工业基地,联合国科教文组织1981年确定的“世界历史名城”。

西安地处关中平原中部,北濒渭河,南依秦岭,八水润长安。全市下辖11区2县,总面积10108平方公里。末常住人口870.56万,其中城镇人口635.68万,城镇化率72.61%。

长安自古帝王都,其先后有西周、秦、西汉、新莽、西晋、前赵、前秦、后秦、西魏、北周、隋、唐13个王朝在西安地区建都。是中华文明和中华民族重要发祥地之一,丝绸之路的起点。丰镐都城、秦阿房宫、兵马俑,汉未央宫、长乐宫,隋大兴城,唐大明宫、兴庆宫等勾勒出“长安情结”。

位置境域

西安市位于渭河流域中部关中盆地,东经107.40度~109.49度和北纬33.42度~34.45度之间,北临渭河和黄土高原,南邻秦岭。东以零河和灞源山地为界,与华县、渭南市、商州市、洛南县相接;西以太白山地及青化黄土台塬为界,与眉县、太白县接壤;南至北秦岭主脊,与佛坪县、宁陕县、柞水县分界;北至渭河,东北跨渭河,与咸阳市区、杨凌区和三原、泾阳、兴平、武功、扶风、富平等县(市)相邻。辖境东西长约204公里,南北宽约116公里。面积9983平方公里,其中市区面积1066平方公里。

地貌

西安市的地质构造兼跨秦岭地槽褶皱带和华北地台两大单元。距今约

1.3亿年前燕山运动时期产生横跨境内的秦岭北麓大断裂,自距今约300万年前第三纪晚期以来,大断裂以南秦岭地槽褶皱带新构造运动极为活跃,山体北仰南俯剧烈降升,造就秦岭山脉。与此同时,大断裂以北属于华北地台的渭河断陷继续沉降,在风积黄土覆盖和渭河冲积的共同作用下形成渭河平原。

西安市境内海拔高度差异悬殊位居全国各城市之冠。巍峨峻峭、群峰竞秀的秦岭山地与坦荡舒展、平畴沃野的渭河平原界线分明,构成西安市的地貌主体。秦岭山脉主脊海拔米~2800米,其中西南端太白山峰巅海拔3867米,是大陆中部最高山峰。渭河平原海拔400米~700米,其中东北端渭河河床最低处海拔345米。西安城区便建立在渭河平原的二级阶地上。

5.的西安景点导游词 篇五

西安周边旅游景点推荐

西安最值得去的地方之秦始皇陵博物馆

秦始皇陵博物馆是中国最大的原址博物馆,主要包括兵马俑博物馆和秦始皇陵两大部分。兵马俑是秦始皇陵的从葬坑,据考古推断,这几座从葬坑象征着始皇生前的宿卫军守卫着陵园,而三座坑是按兵法布阵的,游客现在可以观看挖掘出土后的一、二、三号坑中的兵马俑,其中一号坑为主陈列室,最前面的是前锋,后面紧紧跟随的是步兵、战车,整个军阵布局严密,酷似待发之势,令人联想到当年始皇帝金戈铁马,横扫六合,所向披靡的声威。秦始皇陵也叫骊山园,据史书记载:秦始皇赵政从13岁即位时就开始营建陵园,修筑时间长达38年,工程之浩大、气魄之宏伟,创历代封建统治者奢侈厚葬之先例。由于考古技术有限,秦始皇陵墓尚未进行考古挖掘,游人只能看到一座被峰峦环绕的高大封冢,与骊山相依,浑然一体。

西安最值得去的地方之陕西历史博物馆

陕西历史博物馆筹建于1983年,1991年6月20日落成开放,是中国第一座拥有现代化的设施的大型国家级博物馆,“给我一天,还你万年”。这里馆藏文物多达37万余件,上起远古人类初始阶段使用的简单石器,下至1840年前社会生活中的各类器物,时间跨度长达一百多万年。其中的商周青铜器精美绝伦,历代陶俑千姿百态,汉唐金银器独步全国,唐墓壁画举世无双。博物馆浓缩了中华民族的历史精华,是展示中国古代文明和陕西历史文化的艺术殿堂。

西安最值得去的地方之回民街

回民街是西安回族的聚集区,是由多条道路组成的,不是一条特定的道路。回民街指的是北院门,化觉巷,西羊市,大皮院四条街道,而其中最重要的就是北院门这条街了。到了西安的中外游客一般都不会错过回民街,不光是因为街道两旁大量的美食店铺,更是因为这条街道深厚的文化内涵。

西安最值得去的地方之西安古城墙

西安城墙景区位于西安市中心区,呈长方形,墙高12米,底宽18米,顶宽15米,东墙长2590米,西墙长2631.2米,南墙长3441.6米,北墙长 3241米,总周长11.9公里。有城门四座:东长乐门,西安定门,南永宁门,北安远门。西安城墙是在唐皇城的基础上建成的,城墙环于西安城四周,固若金汤,气势不凡。登上城楼,你能俯瞰西安风光,还可以在城楼上骑单车,观看城楼上的精彩演出。

西安最值得去的地方之钟楼和鼓楼

钟楼、鼓楼被称为“姊妹楼”、“文武楼”,两楼皆建于明代,迄今已有620多年的历史。 鼓楼东与钟楼相望,始建于明太祖朱元璋洪武十三年,比钟楼早建造4年,清康熙三十八年和清乾隆五年先后两次重修。楼上原有巨鼓一面,每日击鼓报时,故称“鼓楼”。历经岁月沧桑,如今巨鼓早已不存,惟余鼓楼巍然耸立。钟楼上每天都有编钟表演,而展出的齐白石亲赠书画也颇为珍贵。

西安最值得去的地方之大雁塔

大雁塔又名大慈恩寺塔,原称慈恩寺西院浮屠(浮屠即塔的意思)。唐代永徽三年玄奘为藏经典而修建,塔身七层,通高64.5米,是中国唐朝佛教建筑艺术杰作,登上塔顶,凭栏远眺,长安风貌尽收眼底,在塔上还可看到音乐喷泉的全貌。

相关内容

西安旅游必去的地方

1.兵马俑

大气、肃穆、壮观,里面说白了就是几个陪葬的大坑,很多专家都在没日没夜地恢复兵马俑,对于这种古代遗产,还是值得一看的。

2.西安古城墙

西安城墙又称西安明城墙,西安明城墙位于陕西省西安市中心区,是中国现存规模最大、保存最完整的古代城垣 。墙高18米,顶宽12―14米,底宽15―18米,轮廓呈封闭的长方形,周长13.74公里。城墙内人们习惯称为古城区,面积11.32平方公里,著名的西安钟鼓楼就位于古城区中心。西安城墙主城门有四座:长乐门(东门),永宁门(南门),安定门(西门),安远门(北门),这四座城门也是古城墙的原有城门。从民国开始为方便出入古城区,先后新辟了多座城门,至今西安城墙已有城门18座。

3.华清池

这里有杨贵妃和唐明皇的爱情故事,还有西安事变。如果时间充裕的话,真心建议大家晚上看一下那里的演出《长恨歌》,气势恢弘,非常美。

华清池融人文历史和自然景观于一体,周、秦、汉、隋、唐等历代帝王在此修建离宫别苑。景区仿唐建筑大气恢宏,园林风光别具一格。主要有唐华清宫御汤遗址博物馆、西安事变旧址、九龙湖与芙蓉湖风景区、唐梨园遗址博物馆,有飞霜殿、昭阳殿、长生殿、环园和禹王殿等标志性建筑群,有体验皇家温泉的以澜汤殿、御汤苑、星辰苑、尚食苑、长汤苑、少阳苑、香凝阁和御膳阁为主的华清御汤(精品)酒店。4月推出的大型实景历史舞剧《长恨歌》,成为中国旅游文化创意产业的成功典范。5月推出的多媒体影像剧《玄境长生殿》,成为传统博物馆数字化改造的新模式。

4.法门寺

位于炎帝故里、青铜器之乡――宝鸡市。地处陕西省宝鸡市扶风县法门镇。始建于东汉末年恒灵年间,距今约有1700多年历史,有“关中塔庙始祖”之称。法门寺周魏以前称作“阿育王寺”,隋文帝时改称“成实道场”,唐高祖时改名“法门寺”。法门寺被誉为皇家寺庙,因安置释迦牟尼佛指骨舍利而成为举国仰望的佛教圣地。法门寺佛塔被誉为“护国真身宝塔”。法门寺珍宝馆拥有出土于法门寺地宫的两千多件大唐国宝重器,为世界寺庙之最。宝鸡法门寺被联合国教科文组织评为“世界第九大奇迹”。

5.小雁塔

位于中国西安市荐福寺内的一座佛塔,正式叫法应为“荐福寺佛塔”,属于保护比较好的唐代古塔,全国重点文物保护单位。建于唐代景龙年间。塔原有15层,现存13层,高43.4米。小雁塔的塔形秀丽,被认为是唐代精美的佛教建筑艺术遗产。小雁塔及其古钟即“雁塔晨钟”列入“关中八景”。是西安市著名的旅游地。现在的小雁塔为西安博物院的组成部分,为国家AAAA级旅游景区。是丝绸之路中国段22个申遗项目之一。

6.西安及周边景区景点活动 篇六

1、大唐芙蓉园

芙蓉御苑开宫殿·大唐霓裳入梦来、——2012年大唐芙蓉园中秋节国庆节“千年盛唐穿越体验之旅”

2、大明宫国家遗址公园

千年圣殿迎盛世·群众文化耀古城

——大明宫国家遗址公园2012庆国庆暨第一届群众艺术节

3、楼观道教文化区(终南山古楼观景区、化女泉景区、延生观景区)乐在终南 · 幸福楼观——幸福楼观金秋养生游

4、曲江农业博览园

2012年西安曲江农业博览园陕南生态美食季

“幸福生活天天游”——2012第三届壬辰中秋家庭音乐会

5、赵公明财神文化区

幸福绽放在楼观——赵公明财神文化区国庆民俗体验

6、寒窑遗址公园

金玉良缘仲秋夜·国庆寒窑状元游——寒窑中秋暨国庆节欢乐季

7、关中民俗博物院

秋高气爽何处去·五台古镇民俗游——关中民俗博物院迎双节活动

8、法门寺文化景区

华章溢彩迎国庆·艺韵天成聚法门——2012年法门寺文化景区十·一黄金周系列活动

9、大唐西市

2012第三届大唐西市文化艺术博览会

2012陕西省电影家协会首届“大唐西市杯”微电影大赛

西部摄影艺术联展

陕西省第四届妇女手工艺品技能大赛暨精品展示展销

世界珍稀特货币展

10、西安城墙景区

武士军阵表演

西安各界人士中秋·国庆城墙联谊晚会

11、沣河生态景区——西安西郊首个大型滨水生态公园;

沣河生态景区1期2013年04月28日开园

“五一”群众文化系列活动

沣东新城“美丽沣河,水润西安”摄影大赛

12、合阳洽川国家级风景名胜区——中国最具潜力的十大湿地公园之一;

国庆节期间的新婚夫妻,持结婚证(2012年8月1日以后登记有效)免费游合阳洽川处女泉、福山、夏阳瀵景区(拍婚纱照的可带摄影师化妆师各一名免费入园)。

13、千湖国家湿地公园——位于千阳县的千河;

庆国庆、喜迎十八大魅力千湖风光摄影作品展暨颁奖典礼在宝鸡市行政中心广场举行。国庆节期间过生日的游客免费入园,此举是千阳县为游客营造欢乐、祥和、文明的节日氛围,共庆祖国华诞诸多活动之一。

14、清峪河湿地公园——是三原县最大的天然兼人工型内陆湿地;

没有相关活动信息。

15、冶峪河湿地公园——境内群山环抱,秀水纡流,地形多样;

没有相关活动信息。

16、西安浐灞国家湿地公园——距离西安市区最近的湿地公园;

4月28日开园,开园活动:

湿地科普派对

关爱湿地绿色生活——万人承诺绿色生活签名活动

养生太极表演

自然瑜伽表演

湿地精灵迎宾

湿地之韵歌舞主题演出

湿地时尚动感舞台演出

天籁之音—和谐古筝演奏

环保街头鼓

2010年西安及周边景区活动一览

1、大明宫国家遗址公园圣殿艺术节

时间: 10月1日—10月7日

活动内容: 以丝绸之路为主线,通过歌舞、音乐、民俗表演和地域风光展示出丝绸之路沿线国家(或城市)风情风貌,同一主题、分场演出、相互联动。从一号到七号有七个不同的主题日。

2、中国·西安曲江国际光影艺术节——2010年国庆节大唐不夜城主题活动 时间: 10月1日—10月7日

地点:西安曲江大唐不夜城

活动内容:曲江光影艺术节首届陕西大学生摄影图片交易市集。炫中国首届西安曲江青年创意Carnival!开幕暨中国新青年创意联盟成立3周年庆典;2010年“原创爱国脸部彩绘”;青年艺术团体文化巡演;创意书画新地书陕西省大学生多媒体创意市集,中国新青年创意联盟原创设计展,原创手工艺品展销。

3、2010西安城墙十一黄金周活动暨曲江国际光影艺术节

时间:10月1日—10月7日

活动内容:城墙特色演出活动(武士军阵表演:9:30、16:30);《一座城》环幕光影展;《老西安》架上图片展4、2010世界旅游日西安乡村旅游宣传推介活动

时间:9月25日

地点:钟鼓楼广场

活动内容:“人文西安,山水乡村,休闲农家”走进魅力乡村 体验快乐旅游,届时将有政策宣传、产品展示、旅游咨询、文艺演出、媒体、旅行社旅游考察

5、西安关中民俗艺术博物院 “迎双节-大型非物质文化遗产展演”

时间:9月22日—10月7日

活动内容:本次活动主题为“体验民俗文化、感受民俗历史”,包括游明清民俗风情古镇、观千奇百态民俗器物展、猜灯谜、观看大型非物质文化表演、品偿民俗团圆饼

6、常宁宫2010年中秋桂花古树祭月祈福双节活动

时间:中秋节、国庆节

活动内容:中秋佳节之际,只要您游览蒋介石行宫,就可获赠平安香一株,在桂花树前祈愿自己和家人的幸福与平安。在双节假期中,常宁宫特地为游览常宁宫的宾客准备了数十部电影大片,每晚用高清投影仪免费滚动播放,欢迎宾客观影。首届“常宁宫”杯儿童摄影大赛也将拉开帷幕。

7、沙河古桥风情园“百姓大舞台”金秋旅游节

时间: 9月—10月底

地点:咸阳市秦都区沙河古桥风情园 活动内容:民间绝活表演、秦腔专场演出、眉户专场表演、老腔表演以及垂钓、卡丁车等项目。

8、海豚群星·闪耀曲江

时间:9月22日——10月7日

地点:西安曲江文旅集团海洋公园 活动内容:凡持门票入馆参观游览的游客均可在售票口领取“快乐鱼部落”优惠券一张,凭此券享受30元玩转原价50元的八大游艺项目。十一期间,凡进入海豚表演馆观看表演的游客,每场将由海豚向游客抛掷“好运球”,接住好运球的游客,可获得免费乘坐“曲江眼”

9、汤峪温泉碧水湾 浪漫中秋嘉年华

时间: 9月21日—9月24日

地点:蓝田汤峪温泉碧水湾

活动内容:中秋活动期间所有消费项目按平日价格收费;参加浪漫中秋嘉年华,篝火晚会、文艺演出晚会、赏月赏烟花为免费活动;

10、西安渭水园温泉度假村 中秋国庆大乐透

活动内容:中秋节烧烤广场赏月,喝自酿啤酒,开篝火晚会,跳激情锅庄。

团体优惠政策:住房五折、娱乐“一卡通”100元18种项目尽情游玩;散客优惠政策:入住客房七折,用餐满100元减10元:家庭三人行游园娱乐项目五折、赛车七折、用餐满100元减10元。

地址:西安经济技术开发区草滩生态产业园

11、汤峪湖森林公园“首届垂钓节”

时间: 9月22日—24日

地点:蓝田县汤峪湖森林公园

奖项设置:特等奖两名:别墅住宿券一张(8斤以上鱼两条以上)一等奖三名:商务套房住宿券一张;二等奖三名:标准间住宿券一张;三等奖三名:汤峪湖森林公园门券两张

12、太平国家森林公园欢乐畅游

时间:中秋节、国庆节 活动内容:太平国家森林公园中秋节烧烤广场赏月,吃月饼,喝啤酒,开篝火晚会,跳激情舞。

团体优惠政策:紫荆花宾馆住房五折;散客优惠政策:入住客房七折,用餐9折优惠。另外,凡中秋节及国庆节当天出生的游客凭有效证件免费入园;省市人大、政协委员凭有效证件当日免费入园。

13、西安秦岭野生动物园

时间:中秋节至国庆节

活动内容:马达加斯加河马告别演出,53只猛虎、7处观虎点、狮虎兽、白狮惊现西野;金色秋日秦岭 收获假日欢乐园区金桂飘香,6000余株柿子树金果灿灿,万亩原始板栗林硕果累累,大草原区惊现700余只野生牛背鹭,大批候鸟牛背鹭出现在西安属首次。

14、黑河国家森林公园 金秋赏红叶数码拍摄活动

时间:中秋节到国庆节 活动内容:“枫”情无限,红叶传情,每逢金秋时节,公园境内群峰秋色盈金,树叶流丹,呈现出果黄叶层林尽染,黑河国家森林公园是您最佳的红叶观赏区。同时公园推出赏红叶数码拍摄活动,给更多的摄影爱好者、“恋恋风景”的人们一次更好的展示机会,照片被公园采用者将得到公园赠送的礼品一份。

15、黑河金秋野果采摘活动

时间:9月底—10月15日。活动内容:秋季,是收获的季节,瓜果飘香,硕果累累,此时采摘游正合时宜。山楂、核桃、山葡萄、茅栗、五味子、猕猴桃等,硕果累累,清香四溢,格外迷人。您不妨挤出繁忙的工作时间,在金黄季节里到“生态之旅,魅力黑河”走走。采摘的板栗可以交给公园,也可以最优惠的价格带走,也可在篝火中大快朵颐,其它野果可免费享受,感受秋之收获、秋之清爽。

地址:厚畛子古镇板栗采摘园

16、汉江燕翔洞景区“绿色旅游、低碳生活”主题活动

时间:中秋节、国庆节

活动内容:住宿优惠:乔泰和客栈6折,汉水桂苑6折;门票优惠:汉江三峡景区9折,燕翔洞景区9折;餐饮及娱乐优惠:汉江鱼宴9折。一次报名人数达10人以上(包括10人)赠送哥伦比亚精美T恤1件,报名前100名赠送“绿色旅游、低碳生活”主题精美纪念珍藏册。

17、国家级风景名胜区洽川

时间:中秋节到国庆节 活动内容:情诗之源,爱在洽川。回归大自然,休闲来洽川。诗经周南第一篇,关雎雅韵共天长。合阳县城有宾馆饭店6家,洽川风景区内的洽川宾馆、国贸大酒店、关雎贵宾楼和黄河湾温泉度假村均按照三星级标准建设,设施完善,中秋国庆均可享受免费代订。

18、中国·淳化第七届金秋采摘节

时间:9月20日—10月31日

活动内容:举行“淳化县第七届金秋旅游节旅游活动启动仪式”,文艺表演,旅游产品推介,特色旅游产品宣传;走进农家田园,亲自采摘鲜果,品尝特色小吃;观赏淳化50万亩果园,采摘体验活动;游览淳化境内北仲山

19、商洛金丝峡赏最美秋色

时间:9月—10月 活动内容:赏金丝峡最美秋景,看“月亮光光”文艺演出,参与竹竿舞、篝火晚会、有奖问答、景区寻宝等趣味活动,享受国庆期间农家乐“1元特价菜”的特别优惠等。

7.的西安景点导游词 篇七

一、现阶段教学与考试方法带来的思考

随着国家示范高职院校的进入, 在未来新的旅游行业需求形势下, 我们这些教育工作者也应该看到在教学与考试方法方面存在的不足, 从而对人才培养的方式与方法进行反思。

(一) 教学方法更多的启发学生兴趣

该课程以往的教学方法是教师在黑板前面讲授, 而且缺乏这方面正式的教材;更多的是绝大多数教师没有旅游行业从业经验, 达不到工学交替的效果, 纯理论知识授课, 很难对学生产生吸引力, 即使学生认真地听, 认真地记, 但还是一头雾水。即便是教师在上课的时候教学方式方法有所变化采取电子课件, 但是景点导游不同于其他理论课程, 《景点导游》是一门实践性很强的技能实践课, 需要理论结合实践, 而且更需要一位从事过旅游行业, 又做过导游有着丰富带团讲解经验的资深教师主讲, 并且理论结合实际, 利用多媒体技术, 把课堂与景点教学相结合, 通过整周实践教学, 带领学生到景点去把课堂搬到真实的旅游景点中去。

(二) 适当补充相关知识, 注重创新能力培养

《景点导游》是一门边缘学科的综合性课程, 其知识体系的构建是众多学科知识在旅游这一特有主题下辐射和应用的结果。而目前《景点导游》课程教学过程中, 所涉及到的文化学、社会学、历史学、文学、美学、人类学等的知识比重相对不足, 其直接后果就是导致学生在专业思维形成时存在理性的思维和感性的创造性想象能力的不平衡。在授课的过程中, 对该课程所涉及的相关知识加以补充式讲授, 再经过工学交替的人才培养模式, 使个体上提升对景区景点讲解的能力以及讲解过程中应用创新能力。

(三) 理论与实践考试方法应有所侧重

该课程以往的考试方式与方法, 往往是出一张卷子来考试学生对课程的掌握情况, 但这种考试偏重的是一种理论考试, 却忽略了该课程的实践性, 没有体现出《景点导游》理论与实践相结合的课程特点, 是一种重理论轻实践的表现。传统的考试方式与方法已经无法适合高等职业教育的特点。对于旅游高职教育《景点导游》课程考试的新思路应该是理论结合实践去考核学生, 对知识的掌握情况以及景点讲解的技能, 在重视理论知识的同时, 更应该重视课程的实践技能性, 突出高职学生的实践技能。

二、教学与考试方法改革的必要性

高等职业教育面对的是一种就业形式的教育, 我们培养出来的学生更多的是培养和提高学生的生存技能、就业的能力。《景点导游》就是培养学生的专业技能, 提高学生的就业能力的课程。如何利用这样一门课程来达到高职教育的最终目标, 一场教学与考试方法的改革开始了。

(一) 从高等职业教育的根本任务上看改革的必要性

客观地讲, 无论是理论界还是教育部门和高职院校, 对高等职业教育的根本任务已基本形成一定的共识, 那就是:高职教育要以社会需求为目标, 以就业为导向, 坚持培养面向生产建设, 管理和服务第一线需要的下得去、留得住、用得上、实践技能强、具有良好职业道德的较高素质的技术应用型人才。但是, 许多高职院校《景点导游》课程无论是教学还是考试方法上还沿袭着本科院校的做法, 俨然一副本科教育的“压缩饼干”, 从而忽视了高等职业教育对学生职业技能培养的目标要求。因此《景点导游》课程教学与考试方法的改革已迫在眉睫, 十分必要。

(二) 从高等职业教育人才培养模式上看改革的必要性

高职高专教育人才培养模式的基本特征:以培养高等技术应用型专门人才为根本任务;以适应社会需要为目标, 以培养技术应用能力为主线设计学生的知识、能力、素质结构和培养方案;毕业生应具有基础理论知识适度, 技术应用能力强, 知识面较宽, 素质高等特点;以“应用”为主旨和特征构建课程与教学内容体系;实践教学的主要目的是培养学生的技术应用能力, 并在教学计划中占有较大比重;“双师型”教师队伍建设是提高高职高专教育教学质量的关键;学校与社会用人部门结合, 师生与实际劳动者结合, 理论与实践结合是人才培养的基本途径。对高职高专院校的根本任务、培养目标、人才培养宗旨、教学计划、师资队伍建设等各方面问题均作了切实明确的规定, 为高职高专院校课程教学与考试方法改革的必要性提供了强有力的理论根据。

(三) 从高职教育的发展趋势上看改革的必要性

随着高职教育的快速发展, 在高职教育国际交流不断开展, 校企合作办学的过程中, 经过权衡对比、听取企业专家意见, 我们得出的结论是高职院校的人才培养明显处于滞后状态。“十一五”期间, 正直政府推进国家级示范性高等职业院校建设, 大力发展中国特色的高职教育。随着国家示范性高职院校的进入, 应该以此为契机, 进行卓有成效的改革, 大力开展工学结合、工学交替, 做高职教育发展的模范, 改革的模范, 管理的模范。从高等职业教育发展的总体趋势上看, 我认为高职教育教学与考试方式改革也势在必行。

三、新模式下教学与考试方法改革新思路

旅游行业是实践性很强的行业, 《景点导游》更是实战型的课程, 该课程在实践中总结出了“技能岗位型”的人才培养模式, 即根据专业对应岗位能力模块的要求来确定学生的知识、能力和素质结构, 结合全国导游员资格考试制度, 建立了理论授课结合实践考试的“双线”教学模式, 形成了“基础平台+能力模块+职业资格证书=新的课程体系”的模式。

(一) 教学方法结合专业特色

1. 突出应用, 强调实践

旅游行业是实践性强的行业之一, 因此《景点导游》课程的内容应突出实用性。在教学方法的设计、教学内容的编写、教学案例的选择中, 应当首先考虑符合景点导游的实际。强调培养学生的实践能力、讲解过程中解决实际问题的能力。

2. 重视基础, 强化技能

为了使学生掌握景点导游的有关基本知识, 在内容编排上应当对《景点导游》课程相关的基础理论知识、基本技能做出较系统的介绍, 做到基础知识“全面”, 实践教学“实用”, 技能训练“突出”。

3. 结构新颖, 体系科学

《景点导游》课程体系的设计应该以基本理论、基本技能、实践环节为知识与能力体系;理论教学与实践教学学时比例设计成为1:1, 走工学结合的模式, 强基础、重实践。做到理论知识“完整、充实”;实践技能“扎实、过硬”。

4. 形式多样, 激发兴趣

在《景点导游》课程教学中适时加强教材建设、大力提倡情景教学、案例教学, 并且在课堂教学中提供大量的讲解实例, 激发学生的学习兴趣, 利用整周实训带领学生到景点去开展工学结合, 并拓宽学生的知识面, 将讲课内容制作成多媒体教学课件, 景区景点图文并茂;实景拍摄、自主开发模拟现场景点导游软件, 并应用于网络上便于学生课外自主学习。

(二) 考试方法强化实践技能

1. 有针对性的结合全国导游员 (面试) 现场考试

学生通过对《景点导游》课程完整的理论知识学习, 在期末课程考试环节中, 有针对性的结合全国导游员 (面试) 现场部分考试形式出题, 结合现场面试部分的形式及要求, 设计评分标准及评分表, 让学生了解考试流程, 为参加全国导游员资格考试练兵, 同时强化学生的导游词讲解技能以及学生临场的随机应变能力。

2. 有所创新、强化技能, 以不变应万变

在模仿全国导游员资格考试方法的基础上, 提倡有所变化、有所创新。例如:在《景点导游》现场考试的过程中, 有意加大难度, 在市内、市外两处由学生随机分别抽取导游词进行讲解, 而且不允许更换导游词;在导游词讲解结束之后结合景点知识提问;并在导游基础知识问题中再随机抽取两道问题进行解答。虽然考试的难度加大了, 但却起到强化学生对理论知识和实践技能的掌握程度, 做到以不变应万变, 学会处理在全国导游员资格考试中出现的各种突发性问题。

3. 为形成良好的考试制度创造支持环境

充分利用和组织旅游管理专业的优质教学团队, 发挥教师的监督和指导性作用, 全员参与学生《景点导游》课程模拟全国导游员 (面试) 现场部分, 期末的考试、监考、评审任务, 长期坚持并按照统一安排部署, 依据考试说明及考试流程, 认真落实学生的技能考试工作, 最后统一上交学生考试成绩单。

总的来说, 我们在《景点导游》课程上所进行的教学与考试方法改革, 并不是孤立的, 更不是随心所愿的, 它是随着课程体系结构的变化而变化的;也是随着高等职业教育的课程要求以及企业对人才需求的变化而不断变化的。当然, 再好的教学和考试方法也只不过是一种形式主义, 我们今天所做出的大胆的尝试, 是结合高等职业教育的要求、同时也是从旅游行业对人才需求的角度出发, 更是对人才培养模式的一次新的探索。目的只有一个, 那就是变知识灌输为教学与科研、教学与实践相结合, 指导学生“在学习中成长”、“在实践中成才”, 通过对实践教学在空间、时间及深度上的拓宽, 使学生在工学结合、工学交替的教学环节中施展和挖掘潜能;在更广阔的空间里, 创新式发挥, 从而达到人才培养的目的。

摘要:旅游管理专业高等职业教育人才培养要满足知识经济、产业化信息时代的社会需求, 并且要紧跟21世纪旅游行业的发展步伐。《景点导游》作为为旅游行业培养大量优质旅游景点导游人才的专业核心课程, 教育教学的重点应该是的教学方法和考试制度模式的大胆改革和创新;减少课堂讲授的时间, 变知识灌输为教学与科研、教学与实践相结合, 指导学生“在学习中成长”、“在实践中成才”, 从而达到人才培养的目的。

关键词:景点导游,方法改革,人才培养

参考文献

[1]杨建立、杨京楼.高职院校教学改革的必要性及其实践探讨, 教育与职业, 2006.[1]杨建立、杨京楼.高职院校教学改革的必要性及其实践探讨, 教育与职业, 2006.

[2]吴宪洲.论以就业为目标的高职教育改革, 教育与职业, 2006.[2]吴宪洲.论以就业为目标的高职教育改革, 教育与职业, 2006.

[3]杨培茵、郑昌江.论旅游高等教育的课程体系重构与教学模式转型, 2007.[3]杨培茵、郑昌江.论旅游高等教育的课程体系重构与教学模式转型, 2007.

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