西安市钟鼓楼广场调研报告

2024-08-13

西安市钟鼓楼广场调研报告(精选3篇)

1.西安市钟鼓楼广场调研报告 篇一

鐘楼の案内

鐘楼は西安のシンボルの一つで、東西南北の四つの大通りの交差点にあり、西安の中心です。

鐘楼が建てられたのは西暦1384年で、明の時代でした。最初は西大街の迎祥観にありましたが、当時そこは西安の中心地だったからです。西暦1582年西安城が拡大されたため、鐘楼の位置は中心でなくなり、すこし西側のほうになってしまいました。それで、もとの鐘楼を壊して、拡大された西安城の中心地、つまり、現在の所に鐘楼を造りなおしたのです。

西安の鐘楼は中国の数多くの鐘楼の中で、形が一番大きく、一番よく保存されているものです。明の時代の西安は首都でもないのに、なぜ鐘楼の規模が一番大きいなのかということついては、いつも人々に不思議に思われていますが、それにまつわる面白い話があります。

明の時代の西安では、何回か大地震がおこりました。それは西安城の下を流れている川の中に蛟竜(こうりょう)がいるから、よく地震がおこるのだという噂がありました。西安府の知事はそれを聞いたら、大変信じていたので、蛟竜を鎮めるために、鎖で蛟竜を縛り、それを川の底まで沈め、その上に大きな鐘楼を造ろうと命令しました。それで、大きな鐘楼ができたのだそうです。不思議なことに、鐘楼ができてから、西安では大きな地震がおこったことはありません。

それはでたらめな伝説だと思われるかもしれませんが、できたわけがぜんぜんないとは言えないと思います。明の初代の皇帝朱元璋は貧しい家の出身で、いろいろな苦労をなめて、やっと皇帝になったのです。ですから、皇帝になってから、真竜天子に権力を奪われはしないかと深く恐れていました。それで、「竜気」を押しつぶそうとして各地に鐘楼を次々と建てさせました。特に西安は皇帝のよく出るところですから、もっとも大きな鐘楼を造らせたそうです。

鐘楼と鼓楼は古代に中国都市の特別の建築です。鐘と鼓は中国ではもともと打楽器で、約3000年ぐらいの歴史があります。最初は礼器と楽器として使われていましたが、春秋時代から(紀元前8世紀)から、軍事指揮に使われるようになりました。中国の古代の都市はみな軍事的お城という特色を持っていました。周囲は城壁で囲まれ、外堀や跳ね橋が造られ、それらを一体に組み合わせたのは中心地にある鐘楼です。鐘楼は指揮中枢部なのです。普通は晨鐘暮鼓として時間を知らせるのですが、緊急の時には、警報をしらせ、都市の防衛を指揮していました。このような防御システムは明の時代になって最盛期になり、明の時代の西安は西北地区の軍事中心でした。

鐘楼は敷地面積は11260平方メートル、建築面積は1378平方メートル、高さは36メートルです。土台は正方形で、高さは8.6メートル、レンガ造りです。その上は木造造りで、釘は一本使われておりません。外からみれば3階に見えますが、実際は二階建ての建物です。

鐘楼の二階の西側の壁に「鐘楼記」という石碑が嵌められています。鐘楼全体が移されたことについて記されています。

元の鐘楼にかかっていた鐘は唐代の景雲年に作られた景雲鐘ですが、不思議なことに、今の鐘楼に移されたら、音が出なくなってしました。仕方がなく、もう一つ作りました。いまの鐘は重さ5トン、周りに八卦図案が刻んであり、明の成化年(1465-1487)に作られたのです。

建国後、鐘楼は三度修復され、昔の面影がそのまま残されています。鐘楼の上にのぼると、西安市の全景を一望できます。

鼓楼

鐘楼の西側約1キロあたりのところに鼓楼があります。明の洪武13年(1380年)に造り始め、鐘楼より4年早く着工したのです。清の康煕38年(1699年)、乾隆5年(1740年)二回ぐらい修復しました。鼓楼の上に大きな鼓が置いてありますので、鼓楼と名づけられたのです。いまの鼓は1996年に作られたのです。

昔は朝、鐘楼の鐘をつき、暮れるとき、鼓楼の鼓を叩いて、人々に時間を知らせていましたので、晨鐘暮鼓と呼ばれていました。この鼓楼は敷地面1999平方メートル、建築面積は1804平方メートル、高さ33メートル、南北向きに通路のような門があり、鐘楼と同じように、土台はレンガ造りで、それより上は木造作りです。鼓楼の楼閣の南側に「文武盛地」という大きな扁額があり、それは清の乾隆の親筆です。

今の鐘楼と鼓楼の間に広場ができて、いつも観光客と市民でにぎわっています。

鐘楼と鼓楼の案内はこれで終わらせていただきます。お疲れ様でした。

城壁

西安の城壁は中国に現存する古代の城壁の中では唯一の完全なもので、唐代の城壁を明代に造りなおしたものです。

明の太祖巣朱元璋が「高く城壁を造り、多く食糧を貯め、帝王を称するのを延ばす」という提言に基づき、全国に城壁を造らせました。今の西安の城壁はその時代に改修されたもので、明の洪武三年から洪武十一年(1370年――1378年)まで行われましたが、初唐の規模のおよそ9分の1に縮小されました。

明代に造られた城壁は、高さ12メートル、上の幅は12メートルから14メートル、土台の幅は15メートルから18メートル、周囲は13.9キロです。最初の城壁は層に分けて黄土を突き固められたのです。一番下の部分は土、石灰ともち米汁でつき固められ、非常に丈夫にできたのです。後にレンガで城壁の内外とてっぺんを敷き詰めたのです。

城壁には120メートルごとに敵台が一つ造られ、城壁の外に突き出ていて、高さは城壁のてっぺんといっしょです。これは城壁を攻める敵を防ぐために造られたのです。敵台の間の距離はちょうど弓矢の有効射程の範囲内なので、横から攻めた敵を殺すことができます。城壁には敵台が98あり、いずれも兵士を駐在させる敵楼が造られていました。

城壁の城門は城内に入る唯一の道なので、もっとも工夫に工夫を考えて造られたものでした。西安の城壁は東西南北に四つの城門があり、それぞれ正楼、箭楼、闸楼(こうろう物見やぐら)の三重の城門あります。闸楼は一番外側にあり、跳ね橋の上げ下ろしのコントロールを管理するところです。闸楼には窓がたくさんあり、外に向けて射撃するために造られたのです。闸楼の三面が城壁とつながり、羊馬城と呼ばれ、半月形の立体空間となっています。敵が闸楼城門に入ったとしても甕の中に入ったように、周りから攻撃されるので、甕城とよばれたのです。

二番目の城門には箭楼があり、城門を守るもう一つの防御工事です。闸楼と同じように箭楼の三面が後ろの城壁とつながり、正楼との間がもう一つの甕城となっています。箭楼の上には窓がぎっしりあり、射撃するために造られたのです。箭楼は第一城門と第三城門の間にあるので、敵が第一甕城にはいっても第二甕城に入っても、そこから攻撃することができます。

正楼は城門の第三番目の城門であり、正門でもあります。正楼と箭楼の間は甕城となり、兵士を駐屯させるところでした。甕城には城壁を上がる馬専用の坂道があり、城壁には馬専用の坂道が全部で11あります。

城壁の四つの角には物見やぐらが一つあり、城壁の外側に突き出ています。その役割は敵台と同じです。城壁を一周すると、きっと不思議に思われることがあると思います。ほかの角がみな直角形なのに、ただ西南の角だけが半径12メートルの円形となっています。それはなぜでしょうか。1983年の修復でその謎が解明されました。明の城壁は隋唐の城壁をもとにして造りなおされたものですが、西南の角だけが唐の皇城の円形のままにしておいたのです。

城壁の外側に姫垣が築かれ、それに切れ込みあり、全部で5984あります。、矢を射ったり、見張ったりするために造られたのです。内側の姫垣には切れ込みがなく、行ったり来たりする兵士が落ちないように造られたのです。

城壁の上に40――60メートルごとにレンガで造られた水槽があり、排水に用いられています。それは城壁の長期保護には大いに役立ちました。

城壁の外側には壕があり、城門には跳ね橋があります。跳ね橋をあげると、城内にはいることができなくなります。城門は東門が長楽門、西門が安定門、南門が永寧門、北門が安遠門と呼ばれています。

西安の城壁はかつて規模の大きい軍事防御システムでした。また中国に現存しているお城の中でもっとも完全な形をしているお城でもあります。明の時代の歴史、軍事および建築の研究には非常に貴重な実物資料を提供してくれました。

1983年に城壁の修復工事をしました。そのおかげで、いまの城壁はみなつながるようになりました。城壁と外堀の間は環城公園となっています。夜になりますと、城壁がライトアップされて、とてもきれいです。それは西安でしか見られない独特の夜景です。楽しみにしてください。

2.西安鼓楼导游词精选 篇二

西安鼓楼建于明太祖朱元璋洪武十三年,是全国重点文物保护单位。位于陕西省西安市中心,坐落于城内东西南北四条大街的交汇处西安钟楼的西北方向,建在方型基座之上,为砖木结构,顶部为重檐形式,总高36米,每边长35.5米,占地面积1377平方米,内有楼梯可盘旋而上。在檐上覆盖有深绿色琉璃瓦,楼内贴金彩绘,画栋雕梁,顶部有鎏金宝顶,金碧辉煌,是西安的标志性建筑。 西安鼓楼是我国古代遗留下来众多鼓楼中形制最大、保存最完整鼓楼之一。

3.鼓楼区基层信访工作调研报告 篇三

鼓楼区位于开封市中心,交通便利,商贸繁华,辖卧龙、新华、相国寺、州桥、西司门、五

一、南苑、仙人庄8个街道办事处,其中2个涉农办事处、下设24个社区居民委员会,101条街巷,18个村委会。总面积58.68平方公里,总人口16.3万人。繁华的马道街、鼓楼街、中山路、自由路均在本辖区。鼓楼区既是开封市的中心城区,又是开封市的老城区,贫困人口众多。随着鼓楼区各项改革的逐渐深化和社会利益关系的逐步调整,各类复杂的社会矛盾日益显现,信访工作任务异常艰巨和繁重,现有机构设置、人员编制及基层基础方面存在的问题已远远不能满足新形势下信访工作发展的需要。

一、鼓楼区信访机构设置情况

鼓楼区信访局现有编制7人,其中行政编制4人,事业编制3人;各办事处皆为办事处副书记主抓信访工作,“信访专干”多为兼职。各办事处信访部门普遍存在人员少、待遇低、办公条件差、基层基础工作薄弱等问题,信访接待室大多设在党政办公室,接访大厅多未建设。

二、工作中存在的问题

问题一:个别领导干部对信访工作认识不到位。一是认为抓信访太牵扯精力,影响抓经济建设这个中心,把信访工作与经济发展对立起来。二是认为上访群众多是“刁民”,对他们采取哄、拦、卡、压的办法,把政府机关与人民群众对立起来。三是认为

信访工作是信访部门的事,由信访部门处理就行了,把自己与群众割裂开来。四是认为信访部门是“救火队”、“挡箭牌”,有事时想到,无事时忘掉,平时看不到。

问题二:信访群众思想观念上存在误区。一是信“上”不信“下”,有问题不找基层政府和具体部门,认为只有找上面的大部门、大领导才能解决问题。二是信“多”不信“少”,不论什么事,多找几个部门和领导反映总不会错,多多益善。三是信“闹”不信“理”,不管有理无理,先闹再说,认为“大闹大解决、小闹小解决、不闹不解决”。四是信“访”不信“法”,既使是典型的涉法问题,也要到政府部门上访解决。

问题三:个别党员干部业务素质不高、工作责任心不强,造成工作“棚架”。一是一些基层领导干部只重视抓经济效益,不注重社会效益,对群众反映的问题、提出的意见不能引起足够重视,甚至对群众的上访征兆置若罔闻,既不及时报送信息,也不采取措施,把群众“逼”上上访之路。二是个别领导干部摆不正位子、放不下架子,碰到问题不主动与群众沟通,工作方法简单粗暴,从而激化了矛盾,造成干群关系紧张对立。三是一些机关干部工作作风不实,对群众反映的问题,处理不及时、不到位,甚至不闻不问,以至小事拖大,大事拖“炸”。

综揽上述难点问题,面对当前纷繁复杂的信访形势,如何做好新时期的信访工作,是摆在各级党政领导面前的重大而现实的课题。我们认为,解决这些难点问题的有效途径是:努力践行“三

个代表”重要思想和科学发展观,端正对人民群众的态度,提高对信访工作的认识,加强对信访工作的领导,真正形成各级党委政府、各职能部门、各基层单位齐抓共管的全方位、网络化、大信访的信访工作格局。

鼓楼区委群众工作部

上一篇:手机终端营销管理培训下一篇:幼儿园大班个人计划